2013年1月31日木曜日


死生観

死生観(しせいかん)とは、を通したの見方をいう。宗派によっては生死観(しょうじかん)ともいう。 具体的な型には
  1. 人が死んだらどうなるか?どこへいくのか?
  2. 死後や死者をどう捉えるか?
  3. 生についての人々の考え方や理解の仕方
  4. 生きることとは何か?死ぬこととは何か?
などがある。
宗教や文化、又はその人の人生が成功だったか失敗だったかによっても異なる。死生観の定義自体も、見る者の視点によって異なる。民族によって死生観は当然異なることが多く、民族間の確執に死生観の相違が関わっている、とされるケースもある。





かなーりツボ

私もラジカセ欲しいんだけど
CDなんて時代遅れだね


Natalia Vodianova



とても好き
妖精みたいだ




2013年1月30日水曜日

不安やコンプレックスに押しつぶされそうで
自分の感情に対して疑念や嫌悪ばかり感じる。
誰しも醜い感情の一つや二つ持ち合わせる
はずだとわかっているのに、
自分自身の醜い感情を許すことができず自己嫌悪に陥る。

あることに対してこう感じることは間違っているのか
正しいのかよくわからなかった。
だから自分の感情が正常であるかどうか
母に電話で尋ねてみた。
それから感情に対して正しいも間違っているもあるものかと
思った。答えはよくわからない。


現状に於いて辛いことがあるのかというと
そうではない。過去に囚われるのはもう沢山だ。

でも幼少期の思い出は今でも鮮明に蘇るし、
一昨年の自分だけ赤の他人のように思える。
そして彼女を純粋で馬鹿で可哀想な人だと思う。
純粋であることはよくない。
其れは悲しい事にいつも誰かに犯される対象だ。
だけどこの世の汚らわしさには馴染みたくない。
母や父に自分の正常な精神を犯されたと思うのは間違っている?
間違っているんじゃなくて不必要な感情。
憎悪ほど無駄で自分を傷つける感情はない。
たった一人の母を愛してはいるけれど一緒にいれば疲れるだけだ。

消したい思い出は山程ある。
けれどきちんと其れを背負って生きていくべきなんだ。
決して逃れられない。捉え方を変えるしか方法はない。

結局惹かれるものは昔と変わらないので
少しも健全な人間にはなっていない。

誰かにこんなことを語ることはできない。
こんな暗い話は語りたくもない。
誰も聞きたいとは思わない。

最近は一番普遍な愛は母と子の関係にしかないと思う。
だから子供が欲しいととても思う。


2013年1月24日木曜日

。。。

明日はまこととりゅうぞうと映画を見に行って、
金曜日は上島珈琲で一日中読書、
土曜日はみなとエムール
日曜日はしいなとごぼうスティックを食べる。

今日はネットがやっと接続回復したので、
ずっとパソコンにかぶりついてしまった。寝よう。

最近は疲れる事や悩む事を初めて知ったような気がして、
あーこれが疲れるってことか悩むってことかと思った。
とっくのとうに疲れる事や悩む事を経験したはずなのに。
変なの。




Old School Tattoo





I Remember Clifford

トランペット奏者クリフォード・ブラウンは25歳で事故死した。

彼の死に大きなショックを受けたベニー・ゴルゾンは、
 彼の死を追悼してI Remember Cliffordを作曲。
  

Judy Garland



ジュディ・ガーランド(本名フランシス・エセル・ガム)は、1922年6月10日フランクとエセルのガム夫妻の三女として ミネソタ州グランド・ラピッズに生まれた。
父フランクはヴォードヴィルの歌手で、小さな劇場の持ち主。母エセルは ピアニストだった。3人の娘たちも幼児の頃から芸事が大好き。フランシスは2歳半の時、ステージに飛び出して「ジ ングル・ベルズ」を熱唱し拍手喝采された。1933年頃一家はカリフォルニア州のランカスターに移住。フランシスは 町の演劇学校に学びながら児童劇団に参加。
やがて有名なヴォードヴィリアンのガス・エドワーズに認められ、姉 メリー・ジェーン(スージー)、ヴァージニア(ジミー)とガム・シスターズを組んでいくつかの劇場に出演した。1934年 にシカゴの劇場に出た時、ヴォードヴィルの大物ジョージ・ジェッセルに
「君達はガーランド(花輪)のように可愛くて 綺麗だ。でもガム・シスターズという名称はよくないな」と改称をすすめられた。そこで姉妹はガーランド・シスターズ と改め、フランシスは好きなホーギー・カーマイケルの歌「ジュディ」に因んでジュディ・ガーランドという芸名をつけた。  1935年末にシスターズは解散。ジュディは作詞家リュー・ブラウンにすすめられてハリウッドへ行き、ジェッセルの 助力もあってMGM映画と契約した。
デビュー映画はディアナ・ダービンと共演した1936年の短編「エヴリ・サンデー」 (邦題名「アメリカーナの少女」)でダービンが主演格。同年20世紀フォックスに貸出されて「ピッグスキン・パレード」 に出演。MGMに戻って数本に出演し、ヴォードヴィルの女王と称されたソフィー・タッカーについて歌を学び、ミュー ジカル映画のスターになるため修行を重ねた。そして1939年の映画「オズの魔法使」のドロシー役に起用されて快 演し、アカデミー特別賞を授けられ、トップ・スターの座についた。  その後ジュディは友人でもあるミッキー・ルーニ-とのコンビで青春ミュージカル物などに活躍。やがて”大人の 女性”を演じる大スターに成長した。しかしこの頃からジュディは肥満抑制剤、睡眠薬等のドラッグを常用し(最初 は子役時代にハードワークを強いた撮影所が与えたといわれている!)1948年にフレッド・アステアと「イースター・ パレード」に出演したあたりからノイローゼになってしまった。彼女は次第に自信を失い、1949年に「アニ-よ銃を とれ」の撮影中にダウンしてしまう。そのアニ-役はベティ・ハットンに渡され、ジュディはMGMから契約一時停止 の通知を受けた。そして1950年6月19日に自殺未遂事件を起こす。誰もがジュディは終わりだ、と思った。だが、彼 女の実力を信じるプロデューサーのシド・ラフトは再起をはかり、友人ビング・クロスビーやフランク・シナトラ達の助 力もあって、彼女は奇跡的にカムバックし、1951年4月にロンドン、10月にニューヨークのパレス劇場でコンサートを 行い、大成功をおさめた。しかしジェームズ・メイスンと共演した1954年の「スター誕生」が興行的に失敗し映画女優としての道を閉ざされてしまう。。その後ジュディ はステージに主力を注いで活動。1961年のカーネギー・ホール・コンサートのライブ・アルバムはグラミー 賞のアルバム・オブ・ジ・イヤー、彼女は最優秀女性歌唱賞を授けられた。こうしてジュディはステージを中心に人 々を楽しませ続けたが、1969年6月22日、有名なレストラン・シアター”トーク・オブ・ザ・タウン”に出演の為滞在して いたロンドンで急逝した。死因は睡眠薬の飲み過ぎと伝えられている。   ジュディはその生涯で5回結婚した。最初の夫は1941年に結婚した有名な音楽家デイヴィット・ローズ。次は45年 に結婚した映画監督ヴィンセント・ミネリで、46年に長女ライザが生まれた。3番目は1952年のシド・ラフトで、52年 に次女ローナ、長男ジョーがもうけられた。4番目は64年に結婚したアメリカの俳優マーク・へロンだが、すぐに別れ てしまった。そして5番目が1969年1月に結婚した12歳下の実業家ミッキ-・ディーンズ。この結婚をジュディは大変 に喜んだそうだが、その生活は彼女の死によって僅かの間に終わった。                                                         

I'd Rather Go Blind



Something told me it was over
When I saw you and her talkin’
Something deep down in my soul said, ‘Cry, girl’
When I saw you and that girl walkin’ around
Whoo, I would rather, I would rather go blind, boy
Then to see you walk away from me, child, no
Whoo, so you see, I love you so much
That I don’t wanna watch you leave me, baby
Most of all, I just don’t, I just don’t wanna be free, no
Whoo, whoo, I was just, I was just, I was just
Sittin here thinkin’, of your kiss and your warm embrace, yeah
When the reflection in the glass that I held to my lips now, baby
Revealed the tears that was on my face, yeah
Whoo and baby, baby, I’d rather, I’d rather be blind, boy
Then to see you walk away, see you walk away from me, yeah
Whoo, baby, baby, baby, I’d rather be blind…

Georgie Fame

2013年1月22日火曜日

ソフィとソフィア

ソフィなんて持つべきではない。
人は無知であるべきだった。
ソフィが世界を犯し、人々を苦しめる。

逃れられない不幸な運命に対しては
受け入れるのではなく感じないことだ。

そして私の生まれ持ったソフィアを永遠に愛そう。
ソフィアだけが永遠の普遍の正義であるから。

ソフィは罪を犯し、ソフィアは美しい愛を与える。

そしてソフィに対する罰は破滅で
ソフィアを得られなかった悲しい子供達は
いつも深い闇の世界に惹かれる運命にある。

2013年1月8日火曜日

Coke

いつも幸せを望んでいるのに、
訪れた幸せには馴染めない。

自分をどうにかして
傷付けなければと思ってしまう。

一体どうして?


余計な事を考えてしまうから
自分と向き合う時間はいらない。

いつか死ぬまでの長い暇潰し。

2013年1月2日水曜日


憧れ









すーぱーかわいい!!!!


Freddie Cruger


激ハマり♡

ゆうへいが作ったお雑煮♡

幸せですね。

年末の病み過ぎて
死を覚悟した自分が阿呆臭い。

私は自分の見た目を気にし過ぎなのだ!!
美しくある必要なんてない!
過剰に美を求め過ぎなんだ。
まあ自分の顔面の写真は未だに怖くてなるべく撮りたくないけど

それに色んな人に愛されてるからいいの。
大好きな人がいるからいいの。
素敵な音楽や映画を沢山知っているからいいの。

みなにいつだって夏子の味方だよって言われてとっても嬉しかった!

人生はこれから。

だけど次に生まれ変わったらとっても美しい人になりたい。
誰が見ても はあなんて綺麗なんだろう って思うくらい。

病んでる自分なんて大嫌いだし
そんなんじゃ誰といたってハッピーになれないし
一緒に居る人もハッピーになんてなれない

誰かと居る時はいつでもハッピーな自分でいたい
誰かをちゃんとハッピーにできるようになりたい
幸せって自分の考え方

脳みそのセロトニンがどうとかこうとか
脳内物質は自分で操作できるなんていう
くだらない考えに触発されて
ケミカルなものに頼ろうと思ったけど、
やはりそういうものに頼る事による代償ってあるものだし
そういうもので得た幸せなんて無機質で
空虚で結局すごーーーーく嫌な気持ちになる最低最悪

本当の幸せってもっと透き通ってて暖かいもの

おばか過ぎるね

とりあえずあけましておめでとう

素敵な人たちに出会えてとっても幸せなんだ
みんなありがとう
お母さんもね、





しんぺい♡

大晦日




りゅうぞうとそーたとユニット!
香港厨房でカウントダウン笑

結局げろって終わりました。。。。
そして朦朧とした意識の中
みんなに愛のメッセージを送信していた。。
すみませんでした。。。

まあみんなのことが大好きなんだよ!!!