2013年5月13日月曜日

The Greateful Dead







リゼルギン酸ジエチルアミド25の略称。ライ麦の穂に発生する菌、エルゴット(※"ergot")から生成される。
大抵の場合、デッドヘッズたちはLSDをサイケデリックな体験、イニシエーションの旅をするために使用する。デッドヘッズたちはLSDに非常に多くの別名をつけている。「アシッド」、「一服」、「シッド」、「A」、「L」、「トリップス」、「ヒッツ」、「リキッド(液状のものによく溶けるから)」、「ブロット(吸い取り紙(ブロット・ペーパー)に染み込ませて持ち歩くから)」、「シーツ(ミシン目の付いた真四角の吸い取り紙から)」。

デッドが作り出す音楽のある部分は、彼ら自身がアシッド・テストで体験したサイケデリックな出来事が影響を与えている。

LSDを最初に合成した人はアルバート・ホフマンだった。彼は薬剤関係の調査員でスイスのバーゼルにあるサンド研究所で働いていた。自伝の中でホフマンは、LSDの発見によって、彼が若い頃にアルプスの山々を歩いていた時に感じたような神秘的な体験を増大する手助けをしてくれるだろうと考えていた。

「まだ子供の頃に私が体験したのは....、とても幸福感に満ちた瞬間だった。森や牧草地をフラフラと散策してね。僕の世界観の大半を作りだしたものはあのときの体験だったんだ。それは日常の眺めからは隠された奥底に潜んでいるものだ。奇跡のように力強く、計り知れない本当の真実があることを確信させてくれるのさ。ある日突然に、いや偶然なんてことはないんだろうけど、年を経たずっと後になって、自分が専門としていた分野と子供時代の体験の間に、ある種の繋がりが出来上がっていたんだよ」

その「繋がり」は、1943年04月16日の午後に作り出されたものだった。
そしてその時、ホフマンは「異常ともいえるセンセーションな事件」のおかげで、研究所での仕事を中断させられたのだった。働くことが出来なくなったために、ホフマンは自分の故郷へと帰って行った。そこで彼は「実に興奮すべきイマジネーションを体験した。それは実に素晴らしい絵や、異常な形をしたものが、猛烈な勢いで絶え間なく流れてくるもので、色が万華鏡のように動いていた」のだった。その3日後、ホフマンは250マイクログラムの(※訳注:1マイクログラム=100万分の1グラム)LSDを水に溶かし(非LSD状態に対して極微量な服用)、それを服用した。そしてそれは古典的なるバッドトリップに入り込んでしまったのだった。それは恐怖の嵐のようで、死の恐怖や悪霊憑き、精神錯乱などが訪れたのだった。

しかしその翌朝、ホフマンは生まれ変わったようにすっきりとした頭で目覚めたのだった。まだ肉体的には疲れが残っていたが、感覚は良好で、生まれ変わった人生が自分の中に流れ込んでくるのを感じたのだった。少し後で、彼は庭に出て歩いてみた。それは春の雨が上がった後で太陽が照っていて、周りにある全てのものが新鮮な光の中でキラキラと輝いているのだ。それは世界全体が新しく生まれ変わったかのようだった。サンド研究所はLSDを試験薬として市場に発売し始めた。それは精神病の患者が感じたり、考えたりしている世界を精神科医たちが理解できるような手助けになるものとされていたのだった。その商標名はデリシッド。

その効用に興味を持った顧客の一人は新しく組織として誕生したばかりのCIAであった。彼らはナチスドイツがダッハウの強制収容所で行ったメスカリンを使ったテストにヒントを得て、この後20年間に渡って、MK-ウルトラ名付けたプロジェクトを行うのだった。
CIAの目的は「殺し合いのない戦争」のための兵器としてのLSDの可能性を探ることであり、ロサンゼルス全体を機能不能にするために必要な量の計算や、囚人や中毒患者や精神障害者への投与を行ったのだ。そうしたエージェントによる悪ふざけにも思える投与や、「個人的なる実験」によるLSDの利用は問題となっていった。テクニカル・サービスのスタッフが1954年に作ったメモの中では、LSDのテストのために「クリスマスのパンチボウルの中にLSDを入れること」は、お勧めしかねるとの注意書きが成されている。またエッジウッドの武器庫に務める兵士が自分自身が使用する目的で、LSDを盗む事件が発生し、空軍の科学者によって初めて「トリップ」という言葉が使われた。

イギリスの作家で重鎮でもあるオルダス・ハクスレーが自身のメスカリン体験を「まさに奇跡であり、その瞬間ごとがありのままの体験である」と書いた「知覚の扉」を、「サイケデリック」という言葉を作り出したカナダの科学者、ハンフリー・オズモンドは通読していた。LSDは、アラン・ワットのようなボヘミアンで知識層の人物や、当時の文化的なアイコンといえる俳優のケーリー・グラントなどからも深く支持された。LSDはまた、多くのドアを開く鍵として各方面から歓迎された。アルコール依存症や神経症の患者への治療薬として、そして人生を深く理解できるための良薬として。

何カ所かの病院や研究機関はLSDの利用を始めていた。その中にはパロ・アルトとメンロー・パークも含まれていて、そこは、その後にデッドメンバーたちがシャトーに住むことになる町だった。ケン・ケーシーもそこに住んでいた。彼はスタンフォード大学の卒業生で、ヴェテランズ病院の実施していた研究プログラムに参加していたのだった。そこではLSDやメスカリンなどの種々のドラッグを飲むことで日給として75ドルが支給されていた。
ほどなく、LSDはケーシーの住むペリー・レイン周辺に住む作家や音楽家の間で、広まり始めたのだった。最初の「エレクトリック・クール・エイド」はクール・エイドではなく、クスリを混ぜたチリ味の鹿肉を使ったものだった。

1965年10月24日、ワーロックスのメンバーたちはアシッドを試し、ほとんど丸一日をマリン・カウンティの森の中で過ごした。それから一緒にいたファミリー・ドッグのメンバーが、ロングホースマンズ・ホールに踊りに行こうと言い出し、そこで行われていたラヴィン・スプーンフルのショーを見たのだった。
「その時、全てを実にくっきりと見ることが出来たんだ。頭以外には誰もいなくて、聞いたこともないロックンロール音楽が、奇妙な建物の中で演奏されているのさ」
ガルシアはその時のことをそう話している。(フィル・)レッシュはファミリー・ドッグのメンバーであるエレン・ハーモンのところに行き、こう言っている。「なあ、この降霊会が必要としているのは俺たちみたいなバンドじゃないかな」
オーズリーの協力で、安定した量の供給と低価格化に成功し、その結果、ヘイト・アシュベリーのサイケデリック・カルチャーにおいてLSDは基本となり得たのだった。

多くの人たちがデッドのショーの(特にセカンドセット)構成とLSD体験との、気味が悪いほどの相似関係を指摘している。かっちりとした構造物(ショーにおける曲)が、想像力をかき立てるカオス状態(ドラムスやスペース)へと形を変えていき、また何かの形作りに戻るという一連の道のりがそうだと言われている。
「バンドは即興で宇宙を作り出していたのさ」
ガルシアはアシッド・テストの時の自分たちの演奏をそう評している。
「ハイになれたなら、一つ一つの音が一つずつの宇宙になる。そして一つ一つの静寂もそうなる。バンドはそんな場所で演奏をしていたんだ」

ショーで「一服」やっている多くのヘッズたちにとってデッドの音楽は、サイケデリック体験の間中、安心して身を任せられるガイド役となっている。LSDとそれを禁止する法律はどちらも、ヘッズたちが抱える多くの困難の原因となっている。ヘッズたちにとって、LSDとは禁止されている宗教における聖体のような機能を果たしている。

【作詞家ジョン・バーロウ、パインデール・ラウンドアップへの寄稿文】

LSDは個人的な、それでいて精神的な出来事であります。過去25年間に、私は多くのデッドヘッズたちがアシッドを使用するのを見てきました。私自身も使用してきました。いや今でも時々はある種の儀式的なものとして使うことがあります。使用経験者として他の人や私自身の体験を基に話すならば、世間のLSDに対する恐怖感は、メディアの迷信とも思える宣伝活動の賜であると思われます。実際にLSDが現実の世界でどれほどの効果を上げたかを知る人は少ないのでしょう。私はその効果のほどを承知しています。また私以外にもそう考える人は少なくありません。ただそのことについては、今少しことを荒立てずにいましょう。

自分の信じているものを(恐怖心から)隠し続けるのか、それとも世間の関心とは別のものにするかをはっきりさせるときがきたようです。私はアシッドのもたらすものよりも、アメリカの有能な若者を脅かす役目に回りたいと思います。つまりアメリカにとって受け入れ可能な真実をはっきりさせておきたいということです。

LSDは強力な薬品であると私は思います。ヘイそうだろ?こいつを使いすぎて神様に会いに行ってしまったヤツらもいるんだぜ。それほど強力な薬品です。LSDは危険なのです。でもそれは一般的に紹介されているような危険とは少し違います。ハロウィーンの時に、子供たちに作り物の危険な衣装を着せることによって、私たちは自分の子供たちに、本当の危険のすぐ間近に、我々は居るということを分からせようとします。LSDが危険なのは、それが「現実とは受け入れるものではなく、自分たちの力で操作可能なものである」という考えを助長させてしまうからなのです。こうしたことが人の対処能力を激しく損なうのではないかとも考えられています。しかしながら私に言わせれば、アルコールやテレビのコマーシャルの方が、LSDなどよりももっと巧みにやっているのです。もしもあなたが既に少しほろ酔いかげんだとするなら、もうあなたの頭をシャンとさせることは出来ないでしょう。
LSDが非合法とされているのは、人の健全な思想に危険を及ぼすからではありません。むしろコントロールしようとする側に危険を及ぼすからなのです。都合の悪いことにLSDは権威あるものたちを愉快なものに思わせてしまいます。アメリカという国では権威あるものたちを笑い物にすることは、その人を危険に晒すことです。LSDが非合法とされているのは、それが最も有力なアメリカ文化に驚異を与えるからなのです。
もちろん、これは健全な法の利用法ではありません。しかし法とは社会全体の道徳感を守るために生まれてくるものなのです。そしてそれは他者に力で圧力をかけるような文化的なる集団を守るためのものではないのです。

2千5百万人のアメリカ人はLSDを経験しており、中にはそれで人生がすっかり変わってしまったと(もしも強くお願いすれば、こっそりと)話してくれる人だっているのです。つまり必ずしも悪くはなっていないということなのです。私は皆さんのご期待に応えれるなら、その内の何人かはどうしようもないほど白い結晶に取り付かれてしまったとか、人生の落伍者となり果てて、オレゴンの森の奥で這い回るような生活をしているとか、お話ししたいと思っています。しかし実際には彼らはそんな話とは縁遠いどころか、むしろ社会的に成功者たちでCEOや政治家、牧師、地域社会のリーダーたちになっているのです。彼らが望もうと望むまいと、これが真実なのです。彼らのうちのごくわずかの人たちしか、この(おそらくは)自由の国で、その真実を話そうとしないという事実は、社会全体が精神的に病んでいることの兆候なのかもしれません。






こんなに穏やかな世界なのかと不思議に思う。
曲は全部こんな感じでとても
ケミカルドラッグと関係あるとは思えない。
結局は価値観の問題なのか
世の中は嘘ばっかりなのかしら

タイダイTシャツ欲しいな。。。



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